共用スペースのPCのキーボードをカタ、カタ、と叩きながら、如月千早は小さくため息をつく。

 何をどうやって探せばいいのか、さっぱり分からない。
 やはり、図書館にでも行った方が良かっただろうか。
 いや、結局一緒か。手掛かりとなる知識そのものが欠落しているのだから。


 共用スペースのソファに座り、ロングスカートの中で足を組んだ水瀬伊織は深いため息をつく。

 どうして今どきの高校生が、右手人差し指1本でキーボードを叩くわけ?
 そもそもそんなに苦手なら、小鳥にでも手伝ってもらえばいいじゃない。
 いや、結局一緒か。ネット上の小鳥は、街中のあずさくらい回り道が多いのだから。


 共用スペースの椅子から立ち上がり、千早が呟いた。
「ああ、どこかに宝石について詳しくて、今時間を持て余している人はいないものかしら」
 共用スペースの雑誌を退屈そうに開きながら、水瀬伊織が嘆息した。
「ああ、なんだか喉が渇いたわ。まだ給湯室の冷蔵庫にオレンジジュース、あったかしら」










 春先。ある日の午後。暇を持て余したアイドルが2人――。

「赤い宝石って、そんなもん、いくらでもあるわよ」
 オレンジジュースをグラスに注いだ千早からそれを受け取ると、伊織は小さく片眉を上げる。
「ルビー、ガーネット、レッドスピネルは間違いないわね。あとはトルマリンとか、ロードクロサイトとか」
 一口吸うと、微かな繊維質を感じる果汁が口いっぱいに広がった。
 伊織の言葉を、千早は手帳に書き込んでいく。
 その、いつに無く真剣な表情が、伊織の心に小さな火を灯す。
「ちなみに、4月の誕生石はダイヤモンドかクォーツよ」
 一瞬ペンを止めた千早だが、動揺を見せまいと、必死に平静を装った。
「何の話かしら、水瀬さん。ダイヤも水晶も赤くないことは知っているわ」
 必死で装ったせいで、あまりに芝居掛かった話し方になり、伊織はつい苦笑してしまう。
「あら、如月さん。どちらの宝石にも、赤い種類がございますのよ」

 765プロは、随分大きくなった。
 昔は誰がどこで何をしているか、全て手に取るように分かったものだ。
 最初の移転では、キレイになった、という印象だった。
 今回の移転では、大きくなった、というのが一番の感想だ。
 おかげでとても広く、そして2人は、まだしばらく2人っきりだった。

「既にもらっている訳ね。アンタが、アレから、青い宝石の付いた何かを」
 スッと一瞬息を止め、千早は、右の拳で胸元を押さえる。
「水瀬さん、なぜ、それを知っているの!?」
「知ってるんじゃなくて、千早が喋ってるのよ。全部」
 なんて分かりやすいリアクションだろう、と伊織は呆れ顔で息を吐く。
 千早が赤い宝石を探している、という時点で大方の予想は付くのだ。
 そもそも自分で身に付ける宝石を探すような性格ではない。だから、人へのプレゼントだ。
 そしてただのプレゼントなら、千早は宝石など選ばないだろう。だから、貰った宝石へのお返しだ。
 誕生石ではなく、色にこだわる、というなら、色にこだわったものを先にもらったに違いない。
 そしてその色は赤というなら、相手は1人しかいない。
「私、この事はまだ誰にも――」
「あーもう! メンドクサイから説明なんてしないわよ。いいからそのペンダント見せなさい」
 伊織が右手を突き出すと、千早はきっちり3秒ためらってから、そっと首の裏に手を回した。
  
「マーキスカットのサファイア。地金は、プラチナじゃないわね。これは、ホワイトゴールドだわ」
 伊織は、銀色と青の折り重なった、輝く雫を手のひらの上で転がしてみる。
 千早は伊織の手の中で揺れるペンダントを見ながら、空いた手を握ったり開いたりしている。
「ルビーね。迷う必要も無いじゃない」
 心配そうに上目遣いで視線を向ける千早から目を背けたまま、伊織は手の中のペンダントを返す。
 骨を取り上げられた犬のように不安げで、それでも文句を言えない目付きが、どうも気に障る。
「ルビーなら、私でも知ってるわ」
 手元に帰ってきたペンダントを大事そうに握り締める千早。
 その笑顔を見て、伊織は小さくため息をつく。じゃあ、知らない話でもしてやろうかしら、と。
「コランダム、っていう無色透明な鉱物があるわけ」
 伊織は向かいのソファを指し示し千早を座らせる。千早は、その手に従順に従った。
「そのコランダムに、クロムが混ざれば赤いルビー、鉄が混ざれば青いサファイアになるのよ」
「え? 水瀬さん、それ、どういう事?」
「宝石レベルのコランダムで、赤いものはルビー。それ以外の色は全部サファイアって事」
 ブルーサファイア、イエローサファイア、ピンクサファイアはこの世に存在する。
 しかし、レッドサファイアは存在しないのだ。
「一緒って事なのね。ルビーとサファイア」
「まぁ、間違ってないわよ。そう思っておけばいいわ」
 だから、アンタは喜ぶんでしょ――千早に聞こえないくらいの声で、伊織が呟いた。
 千早はその声に気づかないまま、ペンダントを眺めていた。
 ルビーを贈れば、一緒なのね――伊織に聞こえた声は、やけに嬉しそうだった。
「まぁ、ルビーとサファイアは一緒でも、アンタと春香は似ても似付かないけどね」
 千早は手を止め、それどういう意味、と伊織に問いかける。
 そのまんまの意味だけど、と伊織は笑った。
「歌が好きという、何よりも大きな共通点が――」
「その『好き』の向きが正反対なのよ。千早と春香は」
 千早の声を遮るように、伊織は言葉を重ねていく。

 まぁ、確かに『歌が好き』って言い方をすれば事務所のツートップかもしれないけど、
 ちょっと考えれば、何もかもが逆なのよ。
 アンタはいつだって、誰か一人の為に歌を歌ってるわ。
 でも、春香はいつだって、みんなの為に歌うのよ。
 アンタの歌は、みんなを黙らせる。聴く人間は、声も物音も立てないでしょう。
 でも春香の歌は、みんなを笑顔にする。聴いた人は皆、一緒に歌を歌いたくなる。

 少しずつ、千早の顔が硬くなっていく。
 深く考え込むように視線を落とし、きつく口を結ぶ。
「そういう所も、正反対よ」
 伊織は視線を逸らす千早の目を真正面から見据えたまま、水瀬伊織の言葉を紡ぐ。

 しょっちゅう転ぶおっちょこちょいだけど、転ぶって事は、前に進もうとした証よ。
 アンタはいつだって立ち止まって、後ろを振り返ってばかりで、一向に前に進みやしない。
 転ぶ事を怖がって、一度転んだら、もうこの世の終わりみたいに思い込んでる。
 春香は一人で立ち上がれるし、何度転んだって、しっかり立ち上がってくるわ。

 もう結構よ――目が逢った瞬間、千早が小さな声で言った。
「水瀬さんが私の事を嫌いだというのは、よく分かったわ」
 被害妄想ね――千早の言葉を聞いて、伊織が小さな声で言った。
「客観的な事実を言っただけよ。あんたがそう捉えるなら、それはアンタ自身が自分を嫌いって事ね」 
 千早の視線の先には、不機嫌そうな伊織の目があった。
「水瀬さん」
「な、何よ」
「私は、水瀬さんの事、嫌いじゃないわよ」
「どうしてそういう流れになるのよ! 訳分かんない事言ってないで、上着取ってきなさいよ」
 伊織は、ストローの限界を超えるような速さでオレンジジュースを飲み干した。
「このまま事務所にいたって退屈だから、ドライブに行くわよ」
 ソファから立ち上がると携帯を取り出し、1通、本文の無いメールを送る。
「途中で馴染みのジュエリーショップに寄るつもりだから、アンタも一緒に来なさい」
「水瀬さん」
「うるさいわね。とっとと上着を着なさいよ。外はまだ寒いんだから」
 伊織は、懸命に言葉を探していた千早に背を向け、スタスタと歩いて行った。
 千早はその背中に向かって、ありがとう、と声を掛けると、上着を取りにロッカーへ向かった。

 ピンク色の宝石にも、きっと色々な種類があるのだろうな、と千早は想いを巡らせていた。


                                                              【End】

 

inserted by FC2 system