【1分前】

 伊織の白い目。
「アンタのせいだからね。春香」
 春香の白い息。
「い、伊織だってほら! 賛成してくれたじゃない!?」
 辺りは、白い世界。

 

 

【3ヶ月前】

 プロデューサーの手に、一冊の雑誌があった。
 中高生をメインターゲットとしたファッション&ポップカルチャー誌、『パルフェ』。
 そして、今月号の巻頭カラーでは、伊織と春香の特集が組まれている。
 タイトルは、『夏色のロマンス』。
 ポーズを決める2人のカットには、それぞれ『リゾラ』と『太陽のジェラシー』の歌詞が添えられていた。
「何よこれ。春香とセットだったなんて聞いてないわよ?」
 ソファの背もたれに体を預け、不機嫌そうな頬を膨らませる伊織を見て、
「ご、ごめんね、伊織。プロデューサーさんが絶対に秘密だって――」
 と、春香が両手を合わせて謝った。
 ツン、と春香から顔を背けたその先にはプロデューサーの顔。
「だってー、言ったらゴネるでしょ? 伊織ちゃん」
 プロデューサーは苦笑する。
「伊織ちゃんの新曲と、春香ちゃんのベストアルバムのPR兼ねてるんだから喜んでよ」
 はぁ、と嫌そうに手を出す伊織に、プロデューサーがサンプル誌を手渡した。
 次見せて、とはしゃぐ春香を黙らせ自分の隣に座らせると、伊織は笑みを抑えながらページをめくった。


【1ヶ月前】

 二日酔い、という訳でも無さそうだが、プロデューサーはひどく頭を抱えていた。
「何悩んでるんですか? プロデューサー」
「ああ、春香。伊織もさ、お前らから見て、『冬の似合うアイドル』って、誰だと思う?」
「『冬』、ですか…?」
 春香と伊織をモデルにした『パルフェ』特別号は、爆発的な売れ行きを見せた。
 過去の販売記録を大きく上回り、どこの本屋でも売り切れたらしい。
 気を良くした編集部は、765プロのアイドルを使いたい、とシリーズ化を提案してきたのだった。
「『秋』は律子さんと雪歩でしたよね?」
「ああ。『秋色のホリディ』だな。あれもなかなか好評だったらしい」
 普段から大人しいイメージの2人に、茶色やベージュ、アイボリーといった落ちついた色が良く似合っていた。
「律子がベタに『秋』なんだから、雪歩は『冬』に取っておけばよかったじゃない」
「だって、社長が『秋と言えば、コスモスだな!』とか言い出しちまったんだもんよー」
 あぁ、と呆れる伊織。あー、と苦笑する春香。
 社長の得意げな表情を頭から振り払うかのように一度頭を左右に振ると、春香は右手の人差し指を立てる。
「プロデューサーさん、きっとファンのみんなも次は誰だろう、って想像してると思うんです」
「まぁ、そうだろうな」
「そこで、一番意表をつく戦略はどうでしょうか!?」

 『夏』の2人の再登場――それが、春香のアイデアだった。


【1週間前】

「焼津!?」
「ああ、焼津。静岡県の港町だよ」
「誰も聞いてないわよ。っていうか、知ってるわよ、そのくらい」
 冷め切った伊織の視線にも慣れたもので、プロデューサーは淡々としたものだ。
 勝手にスケジュールを入れておきながら行き先を秘密にしていたプロデューサーに、伊織は腹を立てていた。
「『冬』の撮影なんで、どうしても雪を扱いたいらしいんだ」
「雪ですか!? いいですねー! 私、雪って大好きですっ!」
 キラキラと目を輝かせる春香とは対照的に、伊織はため息をつく。
「それで何で焼津なのよ。焼津に人工スキー場があるなんて話、聞いたこと無いわよ」
「とりあえず出版社側の手配で、小型の人工降雪機は手配できたんだそうだ」
「手配、って移動可能なサイズな訳? そんなの舞台演出用じゃない。地面に落ちたらすぐ溶けるわよ」
「だから、焼津に行くんだよ」
 得意げなプロデューサーの顔を見て、伊織の中でいくつかの知識が繋がる。
「まさかアンタ――」
「プロデューサーさん! 撮影は2日って聞いてるんですけど、お泊りですか!?」
「お、いい所に気づいたな、春香! 先方のご好意で、老舗温泉旅館にお泊りだ!」
「ちょっと、盛り上がる前にキチンと――」
「温泉ですか!? うわぁ、きっと海の幸も美味しいんですよね!?」
「ああ! もしかしたら『舟』が出るかもしれないぞ!」
「舟ですか!? テーブルの上にデデーンって――」
「アンタ達、ちょっと黙りなさいよッッ!」


【1日前】

 港町。波の音。潮の香り。
 風景。まだ色浅い山の緑と、薄く遠い海の碧。
 旅行。旅の高揚。遠出の疲れ。
 足湯。部屋の茶菓子と本場の緑茶。座布団、大の字。
 温泉。岩風呂、露天風呂。隣からプロデューサーの声。応える声、2つ。
 夕食。海の幸。山の幸。山菜と、桜海老のかき揚と。
 船盛。嬌声。たしなめる声。
 温泉。湯煙。星空。
 就寝。あったかい布団。明日への期待――。


【1時間前】

「来るんじゃなかったわ……」
 伊織の声に、春香が慌てて声を上げる。
「ダメだよ、伊織! そんな事言っちゃ」
「いいのよ。向こうの声が聞こえないって事は、こっちの声も届いてないのよ」
 伊織はイヤウォーマーの上から両耳を押さえ、イヤホンから音が聞こえないか確認する。
 ――無音。
 完全に音声は遮断されている。
 プロデューサーからの指示が途絶えて、もう10分が経っていた。
 最後の雑音は、何だったのだろう。一瞬、辺りが真っ暗になったけれど。
 何か、金属質な音も聞こえていたし、人の叫び声も聞こえた気がした。
「どうしたんだろ。ちょっと、心配だよね」
 春香は周囲を見渡した。
 何も見えない、白い空間。その中に、しんしんと雪が降り続いている。
 

【1分前】

 伊織の白い目。
「アンタのせいだからね。春香」
 春香の白い息。
「い、伊織だってほら! 賛成してくれたじゃない!?」
 辺りは、白い世界。
 辺りは、何も無い世界。

 
【1秒前】

 ――クチンッッ。
 可愛らしい春香のくしゃみ。


     ◇     ◇     ◇     ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


 プロデューサーからの連絡が途絶えて、1時間以上が経過していた。
 2人はプロデューサーに呼びかけ、それが無駄と分かるや、次には出口を探し始める。
 だが、残念ながら内側から出入り口を操作する方法は見つからなかった。
 その間も雪は降り続き、ささやかだったはずの積雪は、いつしか2人の足首まで届いている。

「トラブルだとしても許せないわ」
 気温よりも冷たい伊織の声に、春香の背筋が凍った。
「大体、いくら貧乏事務所だって限度ってモンがあるでしょ」
 伊織はウサギのぬいぐるみを抱く腕に力を入れ、フンと鼻を鳴らした。
「何が悲しくて冷凍マグロといっしょに閉じ込められなきゃいけないのよッ!」
 焼津漁港の年間水揚げ量は約20万トン。これは銚子に次いで、国内第2位の規模である。
 その水産業の中心はマグロとカツオであり、焼津には国内有数の冷凍保存倉庫が点在していた。
 冷凍マグロの流通は日本経済への影響が大きく、常に最新鋭の設備が整えられている。
 そのうちの1つが、今日の舞台だった。
 1週間後に港へ戻る漁船の積荷を迎えるため、空っぽになった区画に、2人がいる。
 クレーンに取り付けた人工降雪機からは、大き目の雪片が降り続いていた。

 室温は、0℃の設定と聞いている。だが、体感温度はもっと低い。
 2人の吐く息はすぐに白く凍りつき、足下の雪へ沈んでいく。
「どうにか出る方法を探さないと……」
 撮影スタッフは、隣のコントロールルームに繋がる隔壁の向こうに消えたっきりだ。
 出入り口は固く閉ざされ、こちらからは開ける術が見つからない。
 春香と伊織は、完全に孤立していた。
「私、何かないか、もう1周してみるね」
 春香はそう言うと、足早に駆け出していった。
 その背を無言で見送ると、伊織は改めて、部屋の状況を確認する。
 ひどく広い、浴槽の底にいるような感覚だった。
 窓は無い。壁面に凹凸も無い。目の前に広がるのは何も無い、白い空間。
 ともすれば遠近感も狂うような空間に、伊織は取り残されていた。
 振り返れば、春香の後ろ姿。その先には、クロマグロが入ったコンテナが積み重なっている。
 コンテナには、登れるかもしれない。ただ、登った所でどうしようもない。天井にも窓は無い。
 結局、入り口は1ヶ所だけ――。ただし、内側から開けられそうな気配は無い。
「携帯も無いし……」
 ついポケットに手を当ててしまってから、気が付いた。全てプロデューサーに預けていた。
「携帯あっても、圏外かもしれないしね」
 振り向けば、春香が自分の体を抱くようにして立っている。
 伊織は、その春香の表情に、かすかな違和感を抱く。
「何か、あったの?」
「ううん。別に。ちょっと寒いかなって――」
「春香」
 伊織は、春香のごまかしを許さない。
「アンタがどこに行ってたか、見てるんだから。私が同じ所に行けば同じものを見るのよ」
 強い視線。そして同時に、不安そうな視線。その必死の光を見て、春香は過ちを悟った。
「そうだね。隠しても、しょうがないよね」
 春香は、ことさら明るい笑顔で答えた。
「今、この倉庫の温度は、マイナス15℃だって」
「はぁっ!? 何言ってるのよ! あのバカプロデューサーは0℃設定って――」

 あの時、何が起きたのだろうと考える。
 何がイヤホンから聞こえたか。
 金属質の何かが倒れるような音。悲鳴。叫び声。
 何が起きたか。
 停電。そして再び明かりが点き――

「緊急時用の独立制御」
「え、伊織、何? それ」
 春香の声にも答えず、伊織が振り返って歩き始める。そして、春香が立ち止まっていた位置へ。
 そこには、この倉庫の温度計と細かな仕様が書いてあった。
「わ、今、マイナス16℃に下がってる」
 春香の驚きの声。そして、伊織は蒼白な顔になる。
「1回、停電があったわよね」
「うん。あった」
「あのせいで、緊急用の予備電源に切り替わったのよ。だから、温度設定がリセットされてるの」
 伊織の声は、小さく震えている。寒さと、もちろんそれ以外の理由もあって。
「流通倉庫は中の物への被害を最小限に抑えるために、庫内温度を設定温度に近づけようとするわ」
 伊織の指が、金属製のプレートの上をなぞる。
「この倉庫は冷凍マグロの専用倉庫。2年でも3年でも、味を落とさずに保管する為の倉庫よ」
 通常設定温度、と書いてある欄を見て、春香が小さく息を呑んだ。

 通常設定温度 : −60℃

「一時間で15℃下がってるって事は、これから3時間下がり続けるって事!?」
 伊織は、助けが来るまでじっとしていれば、と考えていた。
 だが、このままではすぐに限界が来るだろう。どう考えても、体がもたない。
 伊織は出入り口に向かって走ると、飛びつくようにレバーを握った。
 ガチャリという音すらしない。重く冷たい、鉄の塊だ。
「バカプロデューサー! 何やってんのよ! 開けなさいッ!!」
 2度、3度と扉を蹴りつける。当然ビクともしない。
「いい加減にしなさいよ! アンタみたいなヤツ、首にしてやるんだから!」
「伊織」
「大体、こんな所でロケなんてどうかしてるわよ! CGでもなんでも使いなさいよ!」
「伊織っ!」
 春香の声は、聞こえていた。でもそれに応えれば、きっと――
 そんな伊織の心とは裏腹に、腕はその動きを止め、体側にぶら下がってしまう。
「……何よ、春香」
 目の奥の痛みをこらえながら振り向くと、春香の両腕が、そっと背中に回された。
「伊織、大丈夫。きっと、大丈夫だよ」
 冷えた心を溶かすように、春香の声が胸に沁みる。
「私だって怖いし、不安だけど。でも、きっと大丈夫」
 体を引くと、そこには春香の笑顔があった。
「なんでアンタはこんな時まで笑顔なのよ……」
 春香はもう一度、ぎゅっと伊織の背を抱きしめ、その耳元で言った。
「私はいつだって、『アイドル』でいたいから」
 私は伊織みたいにしっかり者じゃないけど、と春香が言った。
「私達が今しなきゃいけないのは、『心配』じゃなくて、『信頼』なんだよ。きっと」
 信頼、ね――伊織が呟いた。
 伊織の両腕が、そっと春香の背中に回る。
「信じるわ。私達は絶対助かるし、春香は正しいし、あのヘボでも、一応プロデューサーだから」
 小さく震える伊織の体を、春香は出来るだけ強く抱きしめた。
「春香」
「え? 何?」
「もし今度、どこかの評論家気取りに『個性が無い』とか言われたら、私に報告しなさいよね」
「な、何よ急に! 今はそんな話してなかったじゃない!」
 伊織はその温かさに触れながら思う。
 誰にも、春香の真似なんて出来やしない。
 この娘はその名前の通り、どんな氷だって溶かしてしまう、本物のアイドルなんだから――。


「……で、なんで雪ダルマなのよ」
 伊織は、目の前で雪玉を転がし始めた春香を見て、呆れたように呟いた。
「外に出られないなら、中で出来ることをして、撮影を早く終わらせたいじゃない?」
 撮影を続ける気なの、と、伊織は聞かなかった。これが春香だ、と納得しただけだった。
「最初の予定よりも雪がいっぱいあるし、触っても溶けないんだよ! すごい大きいのも作れるかも!」
「まぁ、排気ガスも泥も無いからキレイね。この雪は」
「それに、体動かした方が暖かいし。伊織も『Do-Dai』?」
 なんちゃって――と、春香が笑って言った。
「『Here We go』!」
 伊織も笑ってそれに応え、一掴みの雪を丸め始めた。



 巻頭カラー『冬色のプリンセス』が載った号は、予約だけで通常販売部数を超え、
 ファッション&ポップカルチャー誌、『パルフェ』は、その月、過去最高部数を達成する事となる。
 表紙は、雪ダルマを挟んで立つ、明るい笑顔の2人だった


                                                              【End】

 

 

 『一枚絵』第2回参加作品

 

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