その日は雪が、降っていた。


 珍しい日には珍しい事が重なるもので、その日の夕方、腐れ縁の旧友から電話があった。
 広告代理店に勤めるその男は、業界では情報通として知られている。
 ――何の事は無い。ただ噂話とゴシップが大好き、というだけの下世話な男だ。
 そんな男が、とびきり下世話な話を始める。

「聞いたか? 天海春香が、レコーディングに穴あけたってよ」

 それが第一声だった。
 担当の秋月プロデューサーが、方々に頭を下げているらしい。
 受話器に開いた穴を覗けば、ヤツのヤニ臭いニヤついた顔が見えそうなヒドい声だった。




        
     




 今日も、雪が降っている。

 部屋に入ってきたのは、黒髪をショートボブにした女性だ。
 俺は、この人の制服姿しか、見たことがない。
「お手紙、届いてましたよ」
 ああ、どうも――と生返事を返して、視線も合わせずに封筒だけ受け取った。
 俺は、この人が苦手だ。

 薄ピンク色の封筒。手紙の差出人の名は、天海春香。
 先週聞いた、溶けたゴムのように不快な臭いの噂話が頭に浮かぶ。


 そして俺は、その手紙の封を――



 開けた。

 開けなかった。


 



 ……そりゃそうだ。
 「開けない」なんて選択肢、俺にある訳がない。


 

 


 気が付けば日は傾き、真っ白いはずの部屋の中が腐りかけのパイナップルみたいな色に染まっていた。
 カーテンの隙間を縫うようにして窓から差し込む光が瞳を刺し、目の底がひどく痛んだ。
 何度押さえてもまぶたの裏が焼けるようで、涙が止まらない。


 ノックの音。

 一度、キツく目を閉じて痛みを拭う。
 入ってきた彼女が言った。
「体、拭きますね」
 優しい声。手慣れた笑顔。
 俺は、この人が苦手だ。
 しばらく会っていない、元・同僚を思い出すから。

「俺、出られますかね……」
「その為にも、一緒に頑張りましょうね」
 それも、ひどく聞き慣れた答。
 腐りかけのパイナップルみたいに、甘くて苦い答だった。


    -  -  -  -  -  -  -  -  -  -  -  -


 その日は、雪が降っていた。

 2人は黙々と、雪の玉を転がしている。
 公園を半周し、その雪玉が20粒ほどの涙を飲み込んだ頃、伊織が聞いた。
「なんで、アンタはそんなに――」
 風は無い。雪も、もうすぐやみそうだ。雨は降りそうに無い。
 春香の涙を隠すものは、やがて何も無くなる。
 だから、春香は泣くのをやめた。
「もう、忘れなさいよ」
 伊織が、どちらの雪玉を頭にするかを思案しながら、うつむく春香をじっと見る。
 春香の雪玉のほうが大きくて、伊織の雪玉の方が、キレイな丸だった。
「私、雪って好きだなぁ」
 春香が、独り言のように呟く。
「春になればキレイさっぱり消えてしまうから。だから、好き」

 春香の手には、小さなティアラがあった。
 自分では二度とかぶれないかもしれないそのティアラを、春香は、出来たばかりの雪ダルマの頭に載せた。

 雪ダルマの笑顔。


   あんな笑顔で、また――。


 春香の祈りは、澄み切った空にのまれ、風に運ばれていった。


                                                              【End】

 

 

 『一枚絵』第2回参加作品

 

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