「そういえば、彼女は動物が好きだったね」
高木順一朗が、器用にナイフとフォークを操りドミグラスハンバーグを切り分ける。
粗い挽肉の断面から肉汁が溢れ、ドミグラスソースと混ざりながら鉄皿の上に広がった。
フォークがライスを小さくすくい、そのまま鉄皿の上に接する。
フォークに載ったライスは底の切れ間から肉汁とドミグラスソースを吸い上げ、茶色に染まった。
高木順一朗は、その香ばしい味付きのライスを、一切れのハンバーグと共に口へ運んだ。
ゆっくりと噛むと、じわり、肉の味が口中に広がった。
「ええ。なんか、色々飼ってるみたいです。ハムスターとか、犬とか、蛇とか」
プロデューサーは少し手間取りながら、柔らかなテンダーロインステーキにナイフを通す。
普段食べる焼き肉の延長のような「それなり」のステーキではない。本物のステーキだ。
肉の繊維が鉄皿に対して直角に立つ、厚切りヒレ肉のステーキだ。
ナイフが繊維を切るのではなく、繊維をほぐすように入っていく。
一切れが、繊細な肉の束だ。その柔らかな肉の束が、オニオンソースを巻き取っていく。
口に運ぶ。焦がし玉葱の甘味と香り。バルサミコソースの酸味。そして、肉の歯応えと旨味。
「そういえば彼女は、『氷の歌姫』とか呼ばれていたね」
高木順一朗が、付け合せにフォークを突き立てる。
マッシュドポテトはソースと肉汁をまとい、絶妙の味わいとなっていた。
これが最高なのだよ――そう言いながら、子供のような笑顔でポテトを頬張った。
噛むと柔らかくクリーミーなポテトが口の中で淡雪のようにほぐれてゆく。
さらさらとした舌触り。そして時折舌に当たるポテトの塊を前歯で噛み割る。
ソースの濃い塩気と、ポテトの柔らかな甘味が絶妙のバランスだった。
「ええ。それほど冷たい子じゃないんですが、見た目の印象もあるんでしょう。定着しちゃいました」
プロデューサーはバターソテーされたニンジンをフォークで刺した。
バターを纏ったニンジンはソースに付けても味が乗らない。
だが、ステーキをカットした時にほぐれた細い繊維を一度ソースに絡め、それをニンジンの上に乗せた。
これがマズい訳が無いですね――そう言いながら、目を閉じて口の中に放り込む。
ニンジンの甘さとバターのコク。そして、肉の繊維が次々に旨味と歯触りを変えていく。
喉の奥まで染み渡るカロテンの甘さと鼻から抜ける芳醇な香りが最高だった。
「『氷の歌姫』という名前を、彼女は嫌っているかね?」
高木順一朗は、ベルギービールを喉に流した。
ドゥ・ハルヴ・マーン醸造所の『ストラッフェ・ヘンドリック』だ。
強い苦味。潤沢な香りと、しかしそれを支えて余りある9%強のアルコールの香りが鼻腔に残る。
口の中に残っていた肉の脂を洗い流し、舌の味蕾を再び開かせる。
「嫌ってはいませんね。むしろ、それにプライドを持っているみたいですよ。それに相応しく在ろう、と」
プロデューサーは、冷の日本酒で喉を潤していた。
有名な新潟の銘酒『八海山』の中でも、特別純米原酒に分類される限定品だった。
端麗辛口とされる新潟の銘酒の中でも、峻烈な香りを放つそれは、まさに雪解け水のキレだった。
「フェンリル――」
高木順一朗は、柚子のシャーベットを一掬いして、呟いた。
柚子皮の繊維と凍った果肉が、噛む度に酸味となって口中に広がった。
「北欧神話ですか?」
プロデューサーは、クリームブリュレの表面のカラメルを割りながら聞き返す。
卵の割合が多い橙色のクリームがスプーンの上で揺れた。口の中で、霧のような甘味に変わる。
「深い意味は無いのだよ。イメージと、口当たりの問題だ」
高木順一朗はふふっ、と笑う。
「『フェンリル』ですか……」
プロデューサーは、その文字と、2人のイメージを重ね合わせていた。
1st アルバムは氷のイメージ。
凛とした表情。強い、まっすぐな視線。
白色、青色、浅葱色、銀色。
声。どこまでも透き通る氷の声。千変万化する獣の王の咆哮。
「いけそうですね」
プロデューサーは、いくつかのイメージを手帳に書き留め、頷いた。
「765プロも、随分と層が厚くなったものだ」
高木順一朗は、それでも全ての少女達を、等しく慈しんでいた。
「まだ何か飲むわけ?」
水瀬伊織は、2人の話を横目で見ながら溜息混じりに聞いた。
事務所では話しにくいから、という理由で水瀬家の食堂を簡易会議室としたのだが、すっかり長引いていた。
だが、それももう終わりだ。
どうせアルコールが入っては、これ以上続くものも続くまい。
「うむ。そうだな、では――」
高木順一朗は、今日、とても気分が良かった。
新しく765プロの一員となった我那覇響と、如月千早のユニット名が決まった瞬間だった。
2人の成功と光溢れる前途を祝して、乾杯――
【End】
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