銀の靴


 もしも行きたい場所があるのなら
 東の魔女の遺した銀色の靴をはいて
 かかとを3回 鳴らすがいいよ
 願いのステップ
 魔法
 終わらない奇跡
 憧れ
 あなたとのハーモニー
 教えて――
 
  
 






 

  空っぽ頭


「律子、これは絶対に不条理で不公平だよ。そう思わない?」
 真はため息をついた。
 律子は真の声に耳を傾けながらも、目は台本から離さない。
「そうねぇ。私は、プロデューサーの方針が間違ってるとは思わないけど――」
「ボクだってそうは言わないけど、でも、もう少し違う売り方を考えてくれてもいいじゃないか!」
 その矛先は律子ではなく、あくまでプロデューサーだった。
 さて、こんな会話は何度目だろう、と律子は記憶を掘り返す。
 真が今のプロデューサーと組んだ直後から、きっとこんなやり取りが続いている。
 『菊地真・王子様プロジェクト』のスタートからだ。
 皮肉なことに、プロジェクトのスタート直後から真のアイドルランクは順調に上がっている。
 そして、「それ」を演じる真のストレスも、順調に増している。
「プロデューサーには安直な人気取りに甘んじるんじゃなくて、もっと色々な可能性を考えほしいんだ」
「確かに、あんまり考えてる雰囲気は無いわね。真のパーソナリティに依存したプロデュースだもの」
 台本をめくりながら、律子がポツリと呟いた。
「ボクのパーソナリティが元々王子様っぽいって事?」
「素質はあったと思うわよ。ショートヘアでボーイッシュで一人称が『ボク』な訳だし」
 ずい、と律子の視界に真の太ももが割り込んでくる。ジーンズ越しにも判る、レッスンの行き届いた腰と足。
「デスクに腰掛けるのはやめなさいよ」
「じゃ律子も台本めくりながら人の話聞くのやめてよ」
「……OK。じゃそのままでいいわ」
「それも おかしいよね?」

  リツコは頬杖をつき、眉根を寄せて、プロデューサーの顔を思い浮かべます。
  彼の頭はわらをつめた小さな袋で、目や鼻や口を描いて顔にしてあります。
  古いとんがり帽子を頭にのせて、身体も青いつなぎにわらをつめただけ。
  足には、古びた青いながぐつをはかされていています。




         








  動かない心


「大体、プロデューサーには何度も言ってるんだよ」
 真は足を組み、腕を組み、怒りをあらわにする。
「ボクは女の子らしくなって、男性ファンをゲットしたいんだ、って」
「だったら『ボク』はやめなさいよ。あと、髪伸ばして、ロングスカート中心の衣装にしなさい」
 パラリ。律子は台本をめくり、所々にペンで書き込みを入れる。
「とりあえずそれだけやったら、ずいぶん変わるわよ」
「……そうだよね。うん、そうなんだ。でもさ、今日までずっとボクって言い続けてたから急には、さ」
 律子の表情を見ながら真が言った。
 組んでいた腕は解かれ、わたわたとその慌てぶりを動きで示す。
 律子は、まぁそれもそうね、となだめるように声を掛けた。
「そういう表面的な所じゃなくて、もっと、こう、内面からにじみ出る女性らしさを磨くカンジでさぁ!」
 その後、真は映画『マイ・フェア・レディ』を引き合いに出して熱く語った。
「真がヘップバーンになれるかどうかはともかく、プロデューサーじゃヒギンス博士にはなれないでしょうね」
「え? ……どうしてそう思うの?」
 おや意外な反応だ、と律子は顔を上げた。
 真の顔はどこか不安げで、けれど、しっかりとした自分の意志も持っている顔だ。
 まるで。
「まるで恋人の悪口でも言われたみたいな顔してるわね」
 ええっ!? と声を上げ、戸惑ったような慌てて両手を胸の前で交差させる。
 この路線は可愛いわね――と律子は思った。
 そして、こんな真の魅力に気付いていないプロデューサーは、やはり底が浅いのかもしれない、と。

  リツコの目の前に、錆び付いたプロデューサーが立っています。
  腕を振り上げたまま、プロデューサーは動きません。
  動こうとしてもギシギシと、関節が軋む音ばかり。
  首に油を差してください。
  腕に、そして足に、油を差してください。
  私はあなたにお礼をしましょう。




  足りない勇気


 真はすごく魅力的な素材なんだ――そう、あのプロデューサーは言っていた。
 素材。
 律子は台本の文字を視線で追いながら、頭の中ではそんな事を考えていた。
 素材。
 そう言うからには、今もプロデューサー自身が何らかの手を加えているのだろう。
 でも、それが何なのか、律子には分からなかった。
「律子はさ」
 一瞬。
 律子は視線を真に向ける。
 真が机の角から床に降り、空いていたオフィスチェアを引き寄せ座る。
「イメチェンとかしないの?」
「しないわよ」
 即答。視線はとうに台本へ戻り、真は律子の横顔を眺めている。
「もっとこう、可愛く行こう、とかセクシー路線に、とか無い訳?」
「ないわよ」
「――だよね」
 右手を顎に当て、勝ち誇ったような表情の真。
 その口ぶりが、少しだけ気に障った律子は一度、深呼吸して言葉を呑んだ。
「ボクは律子が羨ましいよ」
 真は、そんな律子の様子にはお構い無しに言葉を繋ぐ。
「今を変えるかどうかが問題じゃなくて、自分の求める自分でいる、ってのが大事なんだ」
 自分の求める自分――その言葉の定義についていくつか言いたい事もあったが、律子は沈黙を選ぶ。
 言葉の代わりに、口からこぼれるのは、深いため息。
「ん? どうしたの?」
 律子は曖昧に笑って、また1ページ台本をめくる。
 真は、そんな律子を見ながら、自分の希望を口にする。
「プロデューサーたる者、現状維持に甘んじてないで、勇気を持たなきゃ!」
 真は拳を握り、うん、その通りだよ、と自分の言に頷いてみる。
「流行に乗るんじゃなくて、流行を生み出す側に回らなきゃダメなんだよ」
 プロデューサーは、もっと勇気をもって――真の声が、少し色を変えていた。

  プロデューサーは答えます。
  それが私の悲劇なんです、と。
  大きな体と金色の立派なたてがみのせいで、みんなが百獣の王だと決め付ける。
  とても勇敢なんだと決め付ける。
  けれど本当の私はとても臆病で、とても心配症で、とても不安がりなのです。
  リツコには、プロデューサーの気持ちが良く分かりました。




  エメラルドの都


 律子は台本を閉じると、トリーバーチの大型トートを膝に載せ、その中を探る。
 真は閉じられた台本を取ると、その表紙に目を遣った。
「ウィザード・オブ・オズ?」
 オズの魔法使いか、と真は気付く。そういえば、雪歩もそんな話をしてたっけ。
「雪歩は臆病なライオンの役。私はドロシーよ」
「へぇ。同じ舞台に立つんだ」
「まだ企画段階で、本公演まで話が進むかどうか分からないんだけどね」
 律子は、2つの箱を取り出すと、大きな方を真に手渡した。
「頭空っぽで心が無くて勇気の足りないプロデューサーじゃ、あなたも大変よね」
 真は箱を指差し、律子の目を見る。律子は頷いてみせる。
 その箱を開けてみる。
 中には、美しい銀色の靴が入っていた。
「きっと、大魔法使いにあって魔法をかけてもらうくらいしないと、治らないわよ」
 律子は笑っていた。その靴で、オズの都にひとっ飛び、ならいいのにね、と。
「そんな大げさな話じゃないよ」
 真は真剣だった。靴を箱に戻すと、丁寧に机の上に置く。
「憶えてる? オズの魔法使いの正体」
「……いや、忘れちゃった。なんか、実は大したことないんだよね?」
 古い記憶。小学校の図書館で読んだ、挿絵のちょっと怖い、物語。
 律子はバッグから取り出した、もう一つの箱を真に渡す。
 その中には、緑色のサングラスが入っていた。
「これは?」
「エメラルドのグラスよ。それがないとオズの都の光に目をやられてしまうの」
 真はそのグラスをかける。
 視界が全て、緑に染まる。
「あ、思い出したよ。オズの都は真っ白なんだ。エメラルドの都なんかじゃなくて」
「ええ、そうよ。簡単な仕掛け。思い込みと目の錯覚。それが魔法の正体」
 律子は、無邪気にあちこちを見る真の姿を見て、少し、理解が出来た。
 真が問題だと思っているものは、実は何の問題でもなくて。
 プロデューサーは、決して足りないものだらけの人じゃない。
 真の願いと、プロデューサーの想い。そして今の在り方。
 それは、実はとても上手くいっていて、たった一つ、色眼鏡を外せば解決する話。
「真。あなたは女の子らしくなりたいのよね?」
「当たり前だよ! それで、こう、ファンレターとか来てさ、ライブでも、男女半々くらいになってさ」
 夢見るように目を閉じ、笑みを浮かべながら真が言った。
「じゃあ、そういうプロデュースをしてもらうしかないわよね?」
「そうなんだ。だけど、ボクのプロデューサーは、『お前は王子様路線が一番いいんだ』って」
 ふふっ、と律子は笑う。
 両手でそっとつるを持ち、真から緑色のグラスを外す。
「私があなたに魔法をかけてあげるわ」
 律子は真の手を取った。
「とびっきり可愛い服を着て、あなたの女の子としての魅力、朴念仁に見せ付けてあげましょう」
 時計は午後の3時を指している。
 真とプロデューサーとのミーティングはあと2時間後。
「あ、でも、今日はそんなに持ち合わせが……」
「大丈夫。経費で落とすわ。でなきゃ、アレの給与から天引きしとくから」
 律子は笑う。真も、笑った。


 真の願いは、女の子らしくなること。
 でもそれは、世界中に認められなくても、誰か一人が認めてくれれば、それでいいはず。
 そして、真が今、一番認めて欲しい相手は、今日会う人だ。
 律子は、真が気づくよりも先に、その事に気付いていた。

 プロデューサーの願いは、真の魅力を日本中に伝える事。
 でもそれは、プロデューサー自身の想いとは相反する事だった。
 プロデューサーは、真が女の子らしく可愛い事を知っている。
 そして、それを知っているのが自分だけだという今を、大事にしたいのだ。
 律子は、プロデューサーが認めるより先に、その事を認めていた。



  私がオズの魔法使いです

  私はただの人間で、どうしようもないペテン師だけど
  君の願いは叶えてみせる
  それはきっと私にしかできないことで
  私だけが使える魔法なんだから


                                                               【End】

 

 

 『一時間SS』 2010/5/7参加作品 お題:「緑」「アメ」「ステップ」「グラス」

 

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