プロデューサーの手の下で、黒いカードが踊っていた。
「タロットカード、ですか?」
プロデューサーは手を止め、意外そうな表情で私を見る。
「よく分かったね」
「トランプではないようでしたので」
プロデューサーが納得しやすそうな理由を考え、口にした。
通常のカードよりも縦が長い、ヨーロピアン・スタンダード。
一時期あずささんに習ってタロット占いを学んでいた、とは言えなかった。
「意外です。プロデューサーが占いだなんて」
「そうかい?」
プロデューサーが2枚、3枚とテーブルに敷かれた赤いベルベットの上にカードを並べる。
戦車、皇帝、太陽――。
図案はオーソドックスなマルセイユ・タロットだった。
「むしろ、如月千早とタロットの方が、縁遠いように思えるけどね」
「イマジネーションを鍛えるには、良いモチーフだと思いますが」
嘘をついた。
一時期、芸能活動がとても不安で、自分に自信が持てずに占いを心の支えにしていた。
なぜタロットにしたか。
ひとつはあずささんが得意としていたから。
もうひとつは、結果の解釈次第で大抵はポジティブな結果と捉えることが出来るから。
プロデューサーの右手の人差し指が、デッキの一番上のカードをトントンと叩く。
「『イマジネーションを鍛えるには良いモチーフ』」
プロデューサーはカードを一枚めくり、それをオープンにした。
9。『隠者』の正位置――。
「『秘匿』と『経験からくる助言』を表すカードだ」
プロデューサーは、笑った。
「隠し事、大いに結構だよ」
「そ、そんなんじゃありません!」
とっさに上げた声が、まるで他人の声のようだった。
何かを隠すつもりなんてなくて、何の秘密もないのに、私は何を――。
プロデューサーの手の中で、黒いカードが動く。
その指の動きはまるで老練なピアニストのようで、細く長い指が、カードの上をなぞってゆく。
「タロットの大アルカナは何枚あるか知ってる?」
「22枚です」
既に4枚がオープンにされている。デッキの残りは18枚。
プロデューサーは立てた右手の親指でデッキの手前を押さえ、人差し指と薬指で奥側の角を押さえる。
プロデューサーの中指が、デッキの中央に差し込まれる。
手の甲、皮膚の下、第三中手骨が動く。折り曲げられた中指が、カードを割り裂き、その奥まで潜り込む。
デッキが割れる。
中指を追う様に、その裂け目に薬指が潜り込む。
二本の指が、根元まで差し込まれ、デッキが2つに分けられた。
「これで、半分。9枚ずつ」
右の山札と、左の山札。並べれば、厚さは全く同じだった。
「どっちを選ぶ?」
「……左を」
根拠は無い。そもそも、なぜこんな事をしているのかも分からない。
それでも私は、左の山札を選んだ。右ではない、と思った。
プロデューサーの右手が、右の山札を奥へと押しやる。
左手が、左の山札を中央へと引き寄せる。
プロデューサーの中指が、薄いデッキの輪郭線をなぞる。ゆっくり、稜線を辿る。
人差し指が動く。
そっと触れるように、カードの背を撫で、一枚ずつ奥へとずらしていく。1枚、2枚、3枚。
デッキからずれた3枚のカードを左手が拾い上げ、そっと左へ置いた。
同じ動きで、もう3枚が右へ送られる。
プロデューサーの指が、3つの山を揃え、位置を整える。
「選択は?」
プロデューサーの爪の先が、3つの山に一度ずつ触れた。
きれいに手入れされた爪。その薄く白い爪の先が、カードの背をなぞる。
私はその指から意識を逸らす為に、目を閉じ、息を吐く。
「もう一度、位置をシャッフルしてください」
喘ぐような言い方だった。
「慎重だね」
まぶたの裏に、プロデューサーの顔が浮かんだ。口元だけの笑みと、冷めた眼。
赤いベルベットと、黒いカードの擦れる音。
カードを送るプロデューサーの白い指が、細くしなやかな、蛇の背のように動く。
まるで顎まで水に沈んだような息苦しさを感じながら、私はその時を待つ。
「いいよ」
プロデューサーの声。
許しを得て、私は右手をゆっくり伸ばす。
テーブルに触れ、ベルベットに辿り着く。
薬指の先に、カードがあった。カーブした角の感触。
けれど、『これではない』と、何かが私に告げた。
私はその感覚に従い、手をゆっくりと左にずらす。
人差し指が、カードに触れた。冷たく感じられた感触が、熱を持った指先に心地良かった。
「これを選びます」
「そう?」
プロデューサーの声を聞いて、私はそっと目を開ける。
二つの山が奥に押しやられ、私の選んだ3枚のカードだけが残された。
「自分でめくってみる?」
「いえ。プロデューサーどうぞ」
誰がめくろうが、結果が変わる訳ではない。
他人の触ったカードを途中から引き受けるのは、良くないと思う。
そもそも、タロットカードの占いには――。
見苦しい言い訳。
根拠の無い占いだとは分かっていても。
根拠の無い占いだからこそ、自分の手で結果を確定させたくない。
自分でめくってしまえば、もう逃げられなくなる気がしたから。
だから私は、カードをめくるプロデューサーの指を見ていた。
そっと動くその右手が、中指と親指の腹でカードを摘み、そっとひねる様を見ていた。
10。『運命の輪』の正位置――転機。
20。『審判』の正位置――発展。
最後の一枚をめくる前に、プロデューサーが私を見た。
「占い、信じる?」
私は激しく揺れる心臓を意思で押さえ込み、努めて冷静に答を紡ぐ。
「信じません。ですが、自戒と反省のきっかけにはなります」
プロデューサーが笑った。想像通りの、口元だけの笑みと、冷めた眼。
私は背中に爪を立てられたような錯覚に陥りながら、最後の1枚を目で追った。
ベルベットとカードの間に潜り込んだ中指が、カードの底を撫でながら表に返す。
そこに描かれているのは二本の木。落とされた枝の名残がそれぞれ6つずつ。合わせて12。
その中央で、一人の人間がロープで縛られていた。
12。『吊られた男』の正位置――。
「『試練』と『奉仕』。そして『通過儀礼』だ」
プロデューサーの指が、赤いベルベットの上で揺れた。
私は、占いを信じても良いと思い始めていた。
ひどく、喉が渇いていた。
【End】
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