"Better leave it unsaid."



 言わぬが花、という言葉がある。
 私は、自称・花のグループには所属していない。どちらかと言えば実でありたい側だ。
 だから、思った事は何でも言うし、それが相手の意に副わなくとも、良薬口に苦し。
 結果的に、それが相手の為になるなら、私は嫌われても良いと思っている。
 まぁ、一時的になら。


「プロデューサー、いくら屋上だからって、火はマズいですよ!」
 鉄のドアを開けて、最初に目に飛び込んできたのは、プロデューサーの体の陰から立ち昇る白い煙だった。
 プロデューサーはゆっくり振り向くと、やぁ、と言って小さく左手を挙げた。
「どうしたの? まだお昼休み中だと思うんだけど」
 のんきな事を言うプロデューサーを押し退け、その煙の出所を探す。
 そこには、『山田農場』『L玉たまご』と書かれたダンボール箱が立っていた。
 段ボール箱の側面4ヶ所に開けられた小さな穴からは、細く白い煙が漏れ、空に伸びている。
「これ、何ですか?」
「簡易燻製器、で間違いは無いと思う」
 燻製器。
 そう言われてみれば、確かにそれらしい匂いだ。スモークチーズ、あるいはスモークサーモンの匂い。
 いや、でも問題はそこではなく。
「……プロデューサーが、一体、なんで燻製なんか作ってるんですか?」
 しかも、お昼休みに。しかも、事務所の屋上で。しかも一人で。
「それより、何か急用なんだよね?」
「あ、そうです!」


 身長、170cmちょっと。年齢、26歳。
 ものすごく頭がいいくせに口数が少ないから考えの読めない人。
 敏腕とは見えないけれど、間違いなく優秀な人。
 私が足元にも及ばない資格持ちで、企業経理の達人で、小鳥さんと私の命綱。

 彼の現在の職業は、私のプロデューサー、兼 765プロの事務員。  



     


 


 

「20分程度で戻るから、それまでの間、代わりに箱上部の温度計の確認をお願い」
 私の状況説明を聞き終え、要約して復唱した後、プロデューサーが言った。
「温度はだいたい60度から70度の間を保持する事。上がりそうなら下部の小窓を開ける事」
 私は細い白煙を上げる謎のダンボールを見ながら、一応聞いてみた。
「これ、燃え上がったりしないですよね?」
「大丈夫。今度、『燃焼の三要素』について簡単に教えるね」
 プロデューサーはつい先日、甲種防火管理者資格を取得していた。

 温度管理は思いの外、簡単だった。
 最初は少し高めに推移させてしまったが、コツを掴めば先読みができる。
 温度の上下には、タイムラグというか、慣性みたいなものがある。早めに対応、がコツだ。
 箱からは絶え間なく細い煙が上がっている。それは意外にも柔らかな匂いだった。
 ――燻製、って何の燻製かしら?
 匂いで分かろうはずも無く、ただ、あれこれと想像するばかりだった。

「お待たせ」
 プロデューサーが戻ってくる。かかった時間は、19分42秒。
「すごいですね」
「律子の説明で大体読めたから。最近は小鳥さんのクセも、分かってきたし」
 事も無げに言うが、小鳥さんも私も、決して素人じゃない。圧倒的な能力差が、そこにある。
「ちょっと、悔しいです」
 そんな私の声が、きっと聞こえていたはずなのにそれを無視して、箱に歩み寄る。
「さすが律子。このくらいは余裕だね」
 温度計を見て、プロデューサーはにっこりと笑った。

「アメリカ産とか、オーストラリア産の牛モモブロックが一番いいかな」
 私の問い掛けに答える形で、プロデューサーが作り方を教えてくれた。
「脂は少ない方がいい。だから、高い和牛とか買う必要は無いんだ。経済的でしょ?」
 なんとなく、いつものクセでプロデューサーの言葉を手帳にメモする。
「それを、薄く削ぎ切りにする。繊維の方向に沿って、薄く、細長くね」
 プロデューサーは調理の際の動きを真似しながら、横目で温度管理を続ける。
「次は、調味液。塩、砂糖、胡椒、ガーリック、玉ネギ。ちょっとの醤油。好みでウイスキーか赤ワイン」
「結構、濃い感じのタレですよね」
「そうだね。それに一晩漬け込んで、次の日、流水にさらして塩抜きをするんだ」
 わざわざ濃い味をつけ、改めて塩抜きをする、という工程に若干の矛盾を感じつつ、疑問は一旦呑み込む。
「これで肉の臭味や雑味が消えて、肉も柔らかくなる」
「味は薄くなるんじゃないですか?」
 プロデューサーは頷き、最初はそう思うよね、と同意を示してくれた。
「燻製前に、軽く乾燥させる工程がある。そこで、味と旨味が凝縮されるんだ」
 大事なのは原因と結果を正しく組み立てる事――そういって、プロデューサーが笑った。

「燻製という調理法は、大きく分けて3つに分類されるんだ」
 プロデューサーが1つずつ指を立て、列挙していく。
「熱燻。焼きながら燻す方法。これで作ったベーコンやスモークチキンは特に美味しい」
 ベーコン? ビニールパックに入っているものしか見た事がないけど……。
「温燻。火には当てず、煙の温度で調理、乾燥させるやり方。玉子やソーセージなど」
 これはなんとなく、イメージできる。グルメリポートで、前にイタリアンのレストランがやっていた。
「最後は冷燻。温度を上げずに煙だけ当てて、熱ではなく乾燥で保存性を高める。代表は生ハム」
 なるほど。
「前者ほどグリルやローストに近くて、後者ほど保存食のイメージですね」
「出来のいい生徒を持つと、先生は楽だな」
 前にも聞いたような言葉を言って、プロデューサーは時計を確認する。
「これは、熱燻になるんですか?」
「ううん。温燻だよ。もう、ほぼ完成」
 プロデューサーがダンボールの背面を左右に開くと、箱の天井から吊られた細切り肉が見えた。
「下、見てごらん」
 箱の裏に回り、プロデューサーの隣に立って箱の底を見る。
 アルミトレーに載った、4cm四方のカーキ色の立方体。それを良く見ると、左側の側面だけが黒くなっていた。
「これはスモークウッド。燻製用チップを砕いて固めた物で、火を付けると一定の煙と熱だけを出し続けるんだ」
「お灸に使う、もぐさみたいなものですか?」
「近いね。あるいは、すごく太い線香、とか」
 プロデューサーはぶら下がる肉の中でも小さい物をフックから外し、手に取った。
「はい。ビーフジャーキーの出来上がり」
 プロデューサーのビーフジャーキーは赤ワインに少しシェリー酒を加え、燻煙前に黒胡椒を振ったものだった。
 香りは、スパイシー。表面の胡椒だけではなく、深い香りが漂ってくる。
「肉の燻製はヒッコリーが良いと言われるんだけど、今日は桜のチップを使った。ちょっとマイルドで日本人好み」
 桜のチップを使った――と言われれば、なんとなくそんな香りにも感じる、というのは言い過ぎかな。
 少し緊張しながら、ジャーキーの端をかじってみる。
 繊維の束を噛んでいる感触。けれど、それがプツプツと歯の間で切れ、少しひねった所で噛み切れた。
 想像していたよりずっと――
「柔らかいでしょう?」
 私は迷わず頷いた。
 厳密に言えば、柔らかい訳ではないけれど、市販品と比べると全くの別物だ。
「売り物は長距離輸送と長期保存が前提だから、水分を極力飛ばすんだ。だから風味も落ちるし、硬くなる」
「なるほど。大量生産大量消費を前提とした作り方と、本当に美味しくなる作り方は違うんですね」

 プロデューサーのビーフジャーキーは、まるで別物だ。パサつきが全く無く、噛むほどにジワッと味が染み出す。
 今の世の中は流通も発達して、保存技術も向上しているけれど、それでも越えられない壁はある。

 けれど、大量生産品をバカにしてはいけない。それもまた、なくてはならない物だからこそ、作り続けられる。
 安定した価格、安定した品質、安定した味を提供する事も大切だし、心を込めた手作りの味もまた、大切だ。
「アイドルや音楽も、一緒かもしれないね」
 プロデューサーが、立ち上る1本の細い煙を見上げて、呟いた。



「ところで、なんで急にビーフジャーキーを?」
「ああ、東京TVの笹村ディレクターって憶えてる?」
「あのいかにも業界人! っていう若い人ですよね?」
「そう。彼が1回アウトドア番組やりたいって言ったから、『うちの律子は燻製作れますよ』って言っておいた」



 言わぬが花、という言葉がある。
 私は、自称・花のグループには所属していない。どちらかと言えば実でありたい側だ。
 だから、思った事は何でも言うし、それが相手の意に副わなくとも、良薬口に苦し。
 結果的に、それが相手の為になるなら、私は嫌われても良いと思っている。
 まぁ、一時的になら。





     "Better late than never."
     遅くとも、何も無いよりはマシ。

                                                                           【END】

 

 

 

 『ぐるm@s!』 【世】Ethnic>『アメリカ料理』 収録

 『言葉足らずな人』 続編  対応ブログ記事は こちら

 

inserted by FC2 system