池袋駅東口を出て、ビックカメラの前を横切るように進む。
サンシャインを見上げながら歩いていると、マツモトキヨシの前で、
「ひさしぶり」
と声を掛けられた。
相手は、赤い振袖を着た、同い年くらいの女性だった。
街で声を掛けられる事は、少なくない。
多くの場合は、「あの、すみません」。
続いて「秋月律子さんですよね」。
その先は大体2択。
「ファンです。サインください」か「一緒に写真を――」。
周りに人が少なければ、私の答は「じゃあ、特別ですよ」。
周りに人が多ければ、「ごめんなさい。次の収録があるので」。
いうなれば、「ここまでテンプレ」である。
だから、今日の出会い――再会は、イレギュラー。
当然、無意識機械的な対応が出来ず、一瞬、動きが止まってしまう。
同年代の女性との接点は、実は意外に少ない。
だから、私の意識は、必然的に小学校時代の同級生から順に検索していく。
厄介な事に、昔の同級生は必要以上に私を憶えていてくれる。
いや、思い出してくれる、と言った方が正しいかもしれない。
ファンレターには「4年生の頃同じクラスだった――」みたいなものもある。
残念ながら、私は全員を憶えている訳ではないので、帰って卒業アルバムを見返す。
もしそのパターンだったら絶望的だ、と思った瞬間――。
彼女のイヤリングに目が行った。
白いモフモフした襟巻きに埋まるように、揺れる金色。
それは、てんびん座のマークをモチーフにしたイヤリングだった。
「西之森さん?」
記憶が、フラッシュバックする。
泣き顔も、勝ち誇った顔も、切なそうな顔も、私は知っている。
元765プロのアイドル、西之森夕香。
私の、憧れでもあった人だ。
立ち止まる訳にもいかない。
かといって、2人でカフェに入れるほど親密でもない。
時間の流れは、確実に私達の間に溝を作っていた。
だが、幸いな事に、彼女はそれほどの隔絶を感じている訳ではないらしい。
ニコニコと人懐っこい笑顔を浮かべて、私と並んで歩いてくれた。
そう、歩きながら話そう。それがいい、と思ってしまう。
東急ハンズの前を過ぎると、目の前に首都高5号線が現れる。
それが最後の門番のように、私達の行く手を遮る。
「律っちゃん、デビューしたんだよねー。おめでとう」
ポンポン、と肩を叩かれた。
「ありがとうございます」
笑顔で、応えられただろうか。
私はあまりフィジカルなコミュニケーションが得意ではない。
いわゆるパーソナルスペースを死守したいタイプの人間だ。
彼女はその正反対で、相手が誰であろうと気軽に近付き、触れる。
そんな彼女の性格を、本当に羨ましいと思った事がある。
いや、今でも羨ましいと思うのだけれど。
「西之森さんは、どんな感じなんですか?」
私の知っている西之森夕香は、765プロのBランクアイドルだ。
765プロの掟――1年間という期限付きのプロデュースシステム。
その不文律に公然と反旗を翻し、当時のプロデューサーと独立し……
その後の消息を、私は知らなかった。
知らなかった。
いや、そうじゃないのかもしれない。
知ろうとしなかったんだ。
不安だった。
漠然と、怖かった。
私はなぜ、こんな事を聞いてしまったんだろう。
「私ー? もう引退しちゃったよ」
なんとなく、気付いていた。
私如きが言えた事ではないのだけれど、今の彼女に芸能人の匂いは無い。
それが、とても淋しかった。
「あのプロデューサーとそろそろご結婚、ですか?」
冗談めかして聞いてみた。
2人がどれだけ信頼し合っていたか、私は知っていたから。
だから無慈悲に、残酷に、聞いてしまった。
「あー、あの人ねー。もっと若い子見つけて、そっちに行っちゃった」
765プロから独立したかつてのアイドルは、プロデューサーに捨てられた。
アイドルらしさの全てを失い、今は――。
携帯が鳴った。
気まずさを誤魔化してくれた絶好のタイミングに私は飛びつく。
「ちょっと、ごめんなさい」
携帯を開き、それを耳に当てると、聞き慣れた声がした。
『あー、悪い。目の前にいた』
その声に、視線を上げる。
横断歩道の先、赤信号の真下に、私のプロデューサーがいた。
「ふぅん。あれが律っちゃんのプロデューサーか」
そう言って、彼女はにやりと笑った。
振袖を大きく風に舞わせながら、その左腕を私の首に回す。
ぐいと引き寄せ、耳に息がかかる距離で呟いた。
「男を、信用しすぎない方がいいわよ」
その声が、私の胸の奥の深い所に沈んでいった。
私は、彼女ではない。
私のプロデューサーは、彼女のプロデューサーではない。
昔は、今ではない。
昔は、未来ではない。
だから大丈夫だ、とは言えない。
「じゃあ、また、いつか」
そう言って、西之森夕香は、私に背を向けた。
「また、いつか」
そう言って、私は、西之森夕香に手を振った。
私が駆け出し事務員だった頃、彼女は駆け出しアイドルだった。
今、私は何になれただろうか。
今、彼女は――。
電子音に急かされるように、私は横断歩道を渡り切る。
そこには、見慣れたプロデューサーの笑顔があった。
「学校の知り合いか?」
プロデューサーと西之森さんには、直接の面識が無い。
だから、私は細かい説明を省いた。
「憧れの先輩、って感じですね」
「ふぅん」
プロデューサーは私の頭越しに彼女の様子を見て、呟いた。
「律子も、あんな風にしたいか?」
「そりゃあ、成人式に振袖着るのは一般的な――」
「いや、そうじゃなくて、あれ」
プロデューサーが人差し指で車道の先を示す。
振り返ると、彼女がスーツ姿の青年の腕に抱き付いていた。
明るい笑顔で――私の知っている彼女の笑顔で。
同い年なんだろう。
きっと、一緒に成人式に出るのだろう。
あれが、彼女の選んだ道なんだ。
そう思えた。
「ほれ」
プロデューサーが右腕を出す。
「全然。全く。これっぽっちも興味ないです」
わざと、大袈裟に顔を背け、私は営業先に足を向けた。
「だよなー」
プロデューサーは笑って、私の後ろにぴったりと着く。
私は、彼女ではない。
私のプロデューサーは、彼女のプロデューサーではない。
昔は、今ではない。
昔は、未来ではない。
だから大丈夫だ、とは言えない。
でも、今の私に不安は無い。
【End】
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